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百年泥

みなさんは、芥川賞作品を読んでますか?

毎回、受賞が決まると大きく取り上げられる割には、まわりで読んだという話しをきくことの少ない賞のような気がします(又吉さんの「火花」は例外として…)。
純文学というのはハードルが高いのか、一部の文学好きのための賞という感はいなめないですよね。

今回(158回)の受賞作は、石井遊佳『百年泥』・若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』の2作品。
まずは『百年泥』を早く読みたくなったのですが、その理由は、この作品がマジックリアリズムの手法を用いているということを聞いたからでした。

マジックリアリズムとは何なのか?

マジックリアリズムというのは、リアリズム(ふつうの現実世界)の中で現実ではありえない幻想的なできごとがふつうにおこっているという表現手法です。
現実世界なのに“当たり前のように”非現実的なことがおきているというのがポイント
非現実的なことがおきて登場人物が「うわ〜、なんだこれは?!ありえねー」と驚愕するのは、出来事が非現実的だと認識しているのでマジックリアリズムの定義から外れます、たぶん(そんな定義があるのかは知りませんが…)。

映画や小説なんかで、ありえない不思議な出来事がおきているのに、それについては何も触れられないまま話しが進行していくのでモヤモヤした気分になったことはないですか?
そういう時は「これはマジックリアリズムなんだ」と思って無理矢理に納得してください。モヤモヤ感がちょっとは収まるかと思います…。

人間が認知できることが世の中の全てではない、人間が不思議だと感じることだって本当はリアルな事象かもしれない。そんな俯瞰的な大きな気持ちと想像力をもって接することが、マジックリアリズム作品に挑むコツかもしれません。

ガルシア=マルケスからの影響

マジックリアリズムの代表格は、なんといってもガルシア=マルケス「百年の孤独」

著者の石川さんは、やっぱりこのガルシア=マルケスの影響を受けているらしく、『百年泥』というタイトルを聞くだけでも「百年の孤独」を連想してしまいますね。

「百年の孤独」は、南米の架空の村の100年に渡る盛衰を描いた重厚で神話のようなスケールの大きい物語。
いっぽう『百年泥』は、インドを舞台にした物語で、「百年の孤独」と違い、ごくごく私的な小説です。

マジックリアリズム+パーソナル感

我々日本人からすると、このインドというちょっと幻想的でマジックリアリズムとすごく相性がよさそうな国でパーソナル感にあふれた話しが展開されるのというのが面白いんです。

インドで100年に一度の大洪水が起こり、百年分の泥にあふれてその中から時間や場所を超えたモノや人が掘り起こされるという話しで、そのタイトルと相まってスケールの大きな話しかと思いきや、読み始めるとまったくスケール感のない、パーソナルな話し。そのギャップがこの作品の魅力じゃないでしょうか。

洪水の泥の中から、自分の昔の恋人が(死体としてではなく)出てきたりします。会いたい・会いたくないにかかわらず、実際に起こる現実というのは自分の心の中に影響されるのか?
まったくジャンルも設定も違いますが、自分の心の中にしまわれている人物が実体化されるスタニスワム・レムの「ソラリス」を思い出してしまいました。宇宙ステーションの中で死んだはずの恋人に付きまとわれる「ソラリス」とは違い、それほどシリアスではなく進行していくのも特徴的で面白い。

芥川賞作品だが、とても読みやすい

芥川賞作品は純文学ということもあり、ちょっととっつきにくくて読みづらいという印象はないですか?
しかし『百年泥』は、けっこう読みやすい!難しい表現なんかもないので、さくさく読めてしまいます。

普段、純文学作品を読まない人にもオススメできます。
ただ、前述したように「これはマジックリアリズム作品なんだ」という前提を持って読んでください。不思議な出来事に意味を求めすぎて引っかかりをおぼえたまま読み進めるとモヤモヤしたままになり失敗してしまいますよ。


いかがでしたか?気になった方は、ぜひご一読を!

『百年泥』石井遊佳

後日、もうひとつの芥川受賞作『おらおらでひとりいぐも』の感想もアップ予定です。

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