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なぜ世界は存在しないのか

ドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』が売れているらしい。
哲学書にしては平易な文章で書かれており、著者自身も序文にて「できるだけ誰にでもわかるように新しい哲学を示してみたい」「哲学の前提知識なしに読み進められるように書いたつもり」と述べています。

しかし、これは話し半分で聞いてたほうがいいでしょう。
やはり素人にはそれなりに難しい。カントやヴィトゲンシュタインなんて名前を聞いたことがないという人が読むのは苦痛でしょうし、けっこうな根気が必要。「こんな訳わからんことオレには関係ないヨ…」と思った瞬間に読めなくなってしまうでしょう。

そんな難しい本が売れてるという。
ピケティがブームになった時も思いましたが、こんな難しい本が売れるなんて世の中捨てたもんじゃないなあと思いませんか?
だってこの本を頑張って読んでも資格が取れたりするわけではないし、楽しいわけでもないんですよ。

「世界は存在しない」の意味

さて、マルクス・ガブリエルの言う「世界が存在しない」とはどういうことでしょう。
何も今、私たちが生きているこの場所や私たち自身、すべてまやかしだなんてことを言ってるわけではありません。

実際、私は存在しているし、私から見た世界や犬やトンボから見た世界などさまざまな領域での世界は存在する。ドラえもんやスパイダーマンだって、漫画や映画という意味の場で存在している。
ただ、これらの各領域での世界はかならずどこかの領域の中で存在してるということが重要。

ここで、世界という言葉をしっかり定義してイメージしやすいようにしておきましょう。
ここでいう世界とは世の中のすべての領域を包括しているということで、すべての領域の領域が世界です

また、“存在する”という定義は、どこかの領域内、なんらかの意味の場に現れることです。

ということは、すべてを包括する『世界』というものは、その中にすべてを含んでいないといけないので、それより外のどこかの領域に存在しようがない。『世界』の外に何かが存在していると、それはもう『世界』ではないことになります。

これが、この本で述べている「世界は存在しない」という意味。

目の前に本がある。その本は確かに存在していて、例えば部屋の中に置かれている机の上などの領域に存在しているのです。本がどこでもないところにただ存在しているということはありえません。かならず机の上か、本棚の中か、手の上か、もしくは空中なのか、どこかの領域内で存在している。
もし『世界』がこの本と同じように、どこかの領域に存在していたら、それはすべてを包括していることにならないですね。

新しい存在論

マルクス・ガブリエルがこの本で示したいのは新しい存在論。
すべてを包摂する世界は存在しないが、数多くの意味の場が存在しているということです。

これにはまた説明が必要ですが哲学の専門家でもない、いちデザイナーのぼくが、これ以上説明するのも無理があるので、詳しくは哲学者・千葉雅也さんのコラムなどを参照していただきたい。すみません…。

このマルクス・ガブリエルの新しい存在論を用いることで「しょせん物自体のことやその本質はわからない…」とか、「認識できるのは見る人によって各々違うから、けっきょく物事は相対的でしかありえない…」とかいったことから開放してくれる。なんか、勇気ももらえる考えを提唱してくれているのです。

この前向きな考えに触れることができるのが、この本が売れている理由のひとつなのでしょうね。

馴染みがない人には、哲学って小難しくて暗いと印象があるかもしれませんが、いいなと思う哲学本の共通点って勇気をいただける点にあると思います。

注目したいのは第六章「芸術の意味」

そしてこの本で最も興味深いのは終盤の第六章「芸術の意味」です。
アートディレクター、デザイナーでかつ映画好きの立場からしてみれば、やっぱりここに期待してしまいます。

わたしたちはなぜ美術館や映画館に行くのか?
たんに娯楽のためとか美に触れたいというのは充分な答えではないですよね。

通常わたしたちが「芸術って何だろう?」と考える時、以下のようなことを考えないでしょうか?

  • いろいろな視点を与えられる。
  • 自分が考えてもみなかったことを突き付けられる。
  • 心の奥底にあったものを掘り起こされる。

この章では、そういった考えを見事なまでに哲学的に表してくれています。

普通の呼称としての「イヌ」と罵倒語としての「犬畜生」は、両方同じ犬を意味しているのですが、明らかに違いがあります。これが哲学者フレーゲによると照らされ方の違いだといいます。

このあたりが、なるほどな〜と唸るところでした。たしかに自分が好きな映画監督は独特の照らし方をしてくれます。この照らし方に惹かれるのだ。

マルクス・ガブリエルは言います。
芸術の意味は、通常であれば自明にすぎない物ごとを、注目するしかない奇妙な光のもとに置くことあると。

芸術の前では受け身な態度では何も理解できない。能動的に解釈していく行為が必要なのです。


とりあえずこの本を読んでみようと思った方は、やはりこの第六章「芸術の意味」までは、なんとかたどり着いていただきたい。第三章までしっかり読み込めば、第四章「自然科学の世界像」と第五章「宗教の意味」は、それなりに読み飛ばしても大丈夫だと思います(ホントかな…)。
ぼくは、アートディレクター/デザイナーそして映画好きという立場から「芸術の意味」までの流れに注目して読んでみましたが、やっぱり簡単な本ではないので一回読んだだけではやっぱり理解しきれてないところが多々あります。
それでも、新たな視点を与えられ「なるほど〜」と興奮する箇所がいくつもある面白い本なのです。

マルクス・ガブリエルは言ってます。世界が存在しないのは皆にとって喜ばしいことだと。読み手は、この「すべてを包摂する唯一の『世界』は存在せず、複数の意味の場が存在する」という新しい存在論を「ああ、そういう考えもあるのね」くらいに捉えるのではなく、自分の行動や考え、仕事に新しい視点を生かしていくこと。それがこの本を読む意義じゃないでしょうか。

 

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